テネシー・ウィリアムズの短編戯曲『話してくれ、雨のように』はページ数にして10ページのほんとうに短い戯曲で、上演時間は演出にもよるが20~30分くらいの作品である。寺山修司の『青ひげ公の城』に引用されているから、それでこのタイトルを記憶している方もおられるかもしれない。劇中では取りたてて何も起こらない。ニューヨークの安アパートに住んでいる若い男女がぼそぼそと喋っているだけ。長ーいト書きがある。「女は手に水のコップを持ち、小鳥が水を飲むときのように、少しずつギクシャクとすすり込んでいる」とか「二人の孤独な子供が互いに友だちになりたがっているときに見られるような、ある種の丁重さ、ある種のいたわりと堅苦しさがうかがわれる」といった、ナイーヴな記述が長々とある。また、たくさんの「音」に関するト書き。窓の外の雨や風の音、隣室から聞こえる音楽、これくらいならまだしも、コップを窓辺に置いた時の音、窓の外をかすめ飛ぶハトの羽ばたきなど、もう神経症と言えるくらいの細かい記述。じっさいの舞台でそれらを忠実に再現することはほぼ不可能だろう。しかし、作者の表現したい世界がとても良く伝わる。ま、ビョーキの世界ですね。演じる役者がそれをどれだけ感じ、ビョーキになれるか、とても難しいテキストだが、チャレンジしてもらいたくてやっている。なんというか演技をプラスしていくのではなく、削いでいく方向で役を作らなければならない。こういうお手軽には成立しそうにないテキストを繰り返し稽古してると、ドラマ・スクール、やっている意味があるなあと思う。受講生はどう感じているのかは別として。
MODE 松本
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